10月の向日葵 (157)
祥兄には女の子が1人、男はまだ産まれてはいない。もし、蒼が茶道をしないと言えば考えなくてはならないだろうから。
そういう理由からも俺達からの連絡を待っているだろう。
数回コールしたら祥兄は電話に出た。
『・・・どうした?総二郎。何かあったのか?』
「あぁ、まぁな。祥兄にはラッキーな話かもしれないけど、蒼のことだ」
『話をしたのか?』
「・・・あいつを桜の茶会に連れて行く前から少しずつ茶道に興味を持ってるかもって話したよな。俺の稽古を時々覗いてたんだ。だけどまだ6歳、どう思ってるのかわからないから俺に直接言ってくるまで待とうと思ったんだけどな・・・」
ここで、つくしが担任から聞いた将来の夢の話を祥兄にも話して聞かせた。父親と同じ仕事をしたい、そう言ったと。
「さっきな、やっぱり俺の稽古を覗いていたから茶室に入れて話し合った。「やってみたい。本気だ」ってさ・・・。生意気言うよな!どんだけ大変か知らねぇで!」
『そうか・・・俺は前にも言った通り蒼の気持ちを一番に優先したい。もし、うちに男が産まれなくて新菜しか跡継ぎがいなかったら初めての女性家元が誕生するかもな。そのぐらい変化があってもいいって思ってるんだ』
「ははっ!そりゃ大胆だな。取り敢えず連絡だけしとく。この夏から蒼に稽古をつける。やるからには厳しくするつもりだ。それに耐えられなくて止めたら2度と教えない、そう話した」
わかった、と一言だけ返事が聞こえた。
そのあとは家元や家元夫人の話や最近西門であった出来事などの報告があった。俺達の騒動から6年、今では以前のように人の出入りが多くなり弟子や茶道教室の生徒も増えて忙しいらしい。
後援会のメンバーも少し様変わりして、高齢だった九条会長は今年限りで後援会会長を辞任するらしい。そんな話をしばらく2人でしていた。
『あぁ!言い忘れてた。実はさ・・・』
「ん?なんだ、いい話か?」
『まだわからないから親にも言ってないんだけどな、もしかしたら2人目が出来てるかもしれないんだ。近いうちに検査に行こうと思ってる。わかったらすぐに教えてやるな!』
「なんだよ、さっき新菜しかいなかったらって言ったばっかりじゃねぇか!でも祥兄が言うんなら間違いはねぇだろ?良かったな!」
電話を切るとき、祥兄はすっかり嬉しそうな声に変わっていたが、俺の方は複雑だった。
多分俺よりももっと複雑なのは・・・つくしだろうけど。
**
次の日から蒼の稽古は始まった。
稽古といってもいきなり茶なんて点てない。まずは説教から入り、茶道の心得を教える事からだ。
その後は座禅とまではいかない瞑想や、日常の作法、茶室での作法と、とにかく作法についての説明と稽古が続く。俺達はまだ3歳になりたての頃からこれらの作法や話をイヤって程聞かされていたから7歳の頃にはすっかり身についていた。
その分外で思いっきり遊ぶということはしたことがなく、それを楽しい事だと思ったこともない。楽しいと思う前に大人になってしまったからな。
蒼は俺達とは違う。
沢山の友人に囲まれ思いっきり外で遊び、そういう意味では普通の子供と同じように育ってきたから、俺からの稽古をどのくらい我慢出来るかと思っていた。
もしかしたらすぐに音を上げてしまうのかもしれない・・・そう思った。
だが、予想を反して蒼は真剣だった。
俺からの口うるさい説教に口答えせず、少々行き過ぎた叱り方にも言い返さなかった。
どんなことでも最後には師匠に向かって「ありがとうございました」と頭を下げろと言っていたから、泣きながらでも礼を言って稽古を終らせていた。
そんな蒼が夜につくしに泣き言でも言うかと思えばそれもしない。
1人部屋で泣くことは何度かあったようだ。
心配そうに部屋の前に立つつくしを自分たちの部屋に戻し「稽古に口を出すな」と言うことも度々だった。
「まだ諦めずに続けてるのね。あの子、本当に茶道家になりたいのかしら・・・。あ、反対とかじゃないのよ?そのお仕事は立派だと思うから。でも可哀想だわ・・・自分の中で意地を張ってないかしら」
「さぁな!嫌になったらやめればいい・・・それだけだ。だが、ついてくるうちは甘やかさない。そうじゃないと本当にあの家に入った時に苦労するのは蒼だからな。考みたいになったら最悪だ!」
「・・・小さい時の”総ちゃん”みたいに見えるときがあるわ。顔だけじゃなくて意地っ張りなところがね」
「はっ!俺はもうちょっと男らしかったぜ?蒼みたいに泣いてねぇよ」
その年の夏が過ぎて秋になり、それも足早に過ぎて厳しい冬が来た。
茶道教室の初釜・・・それを蒼に初めて見学させた。きちんとそれ用に作った西門の紋付きの着物を着せて俺の傍につかせると客人から声がかかる。
「これはこれは・・・ご長男がお稽古を始められたと聞きましたが本当だったのですな?このような小さい時から感心なことです。どうですか?将来はお父上のように茶道家におなりになりますか?」
この時の正客が蒼に聞くと、少しも間を置かずに蒼は答えた。
「はい。僕は将来お父さんの後を継ぎたいと思っています。今はそのお稽古に励んでいます」
**********
蒼のお稽古はそれからも続いて3年半が過ぎ、小学4年の終り・・・また桜の季節がやってきた。
蒼は10歳、花衣は7歳、蓮は4歳になっていた。
3人とも病気もせずに元気に育って私たちは幸せだった。
「つくし、子供達の準備はいいか?そろそろ時間だ・・・鍵締めるぞ?」
「あっ!はーい。蓮、急いでね!花衣、お母さんの荷物持ってくれる?」
「はい、ちゃんと持ってるよ!」
「お母さーん、ぼく、おしっこ出る~!」
今日は数年前と同じ、西門の桜の茶会に家族5人で出掛ける日だった。
蓮と花衣は東京が初めて、蒼はあの日以来になる。
この茶会は蒼の気持ちを再確認する大事な茶会だった。
蒼にはまだ話していなかったけど、この子の決心が変わらなければ次年度からは宗家に預け、より本格的な稽古に入ることになる。そして祥兄ちゃんの後を・・・総二郎のなれなかった次期家元の指名を受けて、後々は西門流を纏める人になるために私たちの手元を離れることになる。
お稽古の方は始めてからの半年間、作法と説教を続けたあと茶道具の説明に入り手入れをさせるようになった。
お茶を初めて点てたのはやはり桜の季節。私と総二郎に点ててくれた。ぎこちない手つきだったけど総二郎は怒りはしなかった。でも、褒めることもしなかった。
私には凄く優しいお茶だと感じたから、終った後でこっそり「美味しかったよ」っていうと泣き出したっけ。
「お父さんは褒めてくれなかったよ?」・・・この子にとって総二郎は憧れであり、手の届かない人なんだろう・・・そこに並ぶためにはここで負けてはいけないと、自分の気持ちとは反対の言葉で蒼を慰めた。
総二郎の前では一度も弱音を吐かなかった。
少しずつ友だちとの時間も少なくなっていったけど、それでも最優先は父親との稽古。これを可哀想と思うことは蒼の決断を否定するような気がしたから、なにも言わず私の役目は美味しいご飯を出してやることだと・・・そう思うことにした。
総二郎も私も蒼の気持ちを大事にしようと言い続けたから今更茶道の稽古をさせたことを後悔はしない。
ただ、これが蒼と最後の春かもしれないと思うと・・・正直寂しかった。
私が下の子2人を連れて車まで行くと、すでに蒼は澄ました顔で車内にいた。
ちょっとだけ大人っぽくなった10歳の蒼は本当に総二郎に似てる。
最後に家の鍵を閉めた総二郎がゆっくり歩いて来る。
「行きたくねぇな・・・」って声が聞こえてきそうな顰めっ面・・・総二郎も私と同じことを考えてるんだろう。
車は新千歳空港に向かって走り出した。