カフェラテに浮かべたメッセージ・16
それが誰だかわからないけど、牧野の意思でそこに同居しているなんて思えない。
気がついたら俺はそのアパートに向かって走っていた。もう頭の中では何も考えられなかった!ただ、牧野の身に何かあったらと思うと身体が震える。それを振り払うように階段を駆け上がって牧野の入った部屋のドアの前に立った。
「いやぁあっ!やめてっ・・・!亮っ・・・やめてっ!」
「やかましいっ!誰が外泊なんて許したんだよっ!てめぇ、自分の立場がわかってんのか!お前は俺のペットなんだよっ!」
バシッ!と引っぱたくような音がしてガタガタっと何かが倒れた音がした。外まで聞こえた声は牧野に間違いはなかった!
牧野があの男に殴られてる?どうして・・・!
ドアを勢いよく開けて靴のまま部屋の中に駆け込んだら、牧野が左頬を押さえ込んでキッチンの床に倒れていた。
そして俺の顔を見て凄い顔をした。まるで見られてはいけないものを見られた、殴られたことよりも俺に見られたことにショックを受けてるように思えた。
「る・・・い、なんで?どうしてここ・・・にいるの?」
「そんな事は後で話す。早くここを出よう!牧野・・・帰るよ」
帰るよ?ここが牧野の家なのに?
この状況に我慢が出来なくて牧野の側に寄って行ったら、横からさっきの男が俺の前を立ち塞いだ。無精ひげで酒臭い・・・!
どう見ても20代後半のこの男が俺に手をかけようとしたから、それを振り払って逆にそいつの腕を後ろに回して掴み上げた!
「痛ぇっ!!何しやがんだっ!お前、何処のどいつだっ!こいつに手を出したのはお前か・・・手を離しやがれっ!」
「離すと思うの?牧野にこんなことして、俺が許すと思う?」
そう言って手加減せずに腕を捻りあげたらものすごい声を出して大袈裟に痛がってる。いや、これ以上やると間違いなく腕が折れるんだけど。こう見えても護身術とあらゆる武道は子供の時から教え込まれてるからね・・・こんな男にやられる俺じゃない。
声だけ張り上げて脅したいだけ脅す。だけど、そこまで強くはない。そんなクズだ!
もう少し腕を捻ると今度は痛みで震え出した。もう暴れることも出来ないはず。だけど顔を真っ赤にして眼だけを俺に向けてきた。
「どうする?これ以上騒ぐと腕を折らせてもらう。本気だからね?こう見えても俺、今すごく怒ってるから」
「うわぁぁああっっ!!離せっ・・・くそうっ!この野郎っ、殺すぞっ!」
牧野はガタガタと震えてキッチンの床に踞ったまま耳を覆い眼を瞑っていた。
よく見たらすごく綺麗に片付けられたキッチンとは対照的に、奥には荒れ果てた部屋がある。そこからは異臭のような何とも言えない匂いがする・・・ここで牧野がどんな生活をしていたのか、一瞬、嫌な場面を想像して背中に汗が流れた。
「牧野、俺が押えてる間にドアの外に出な。後は心配しなくていいから」
「でもっ・・・!あの・・・」
「いいからっ!!早くしろっ!下で待ってて・・・すぐに行く」
大声なんて出したくなかったけど、少しでも早くここから出したかった。
牧野は震える足でドアや壁にぶつかりながらこの部屋を出た。階段を降りる足音が聞こえて・・・そして静かになった。
俺はこの後、男の腕を離してその場に突き飛ばした。捻り上げていた腕はしばらく力も入らないだろう。そこを押さえ込んで苦しそうな表情を見せ、下から俺を睨み付けていた。
「あんた何者?なんで牧野にこんなことしてんの?」
「お前こそ何者だ!なんであんな女にお前のような男が近づいてるんだ!アイツは何も持ってない女だぞ?それとも珍しかったのか?単純でバカな女が・・・!」
「・・・答えになってない。なんでこんなことしてんの?次は手加減しないけど」
「あいつはな・・・あいつの親が俺に売った女だよ。自分たちの抱えた借金を精算するために俺の所に置いていったペットみたいな女なんだ。文句があるかっ!俺が出した金をお前が返してくれるんなら譲ってやってもいいぜ?一千万だ・・・払えんのかよっ!」
牧野の両親が借金のためにこの男に?今時そんな事があるの?
この男の言葉だけを信じるわけじゃないけど、金で解決するならそれこそ俺には問題がない。それで済むならね・・・。
「そんな金額でいいの?・・・じゃあ、待ってな。このアパートの名前は?」
「あぁ?こ、ここは中野アパートだけど・・・」
そんなの速攻で済ませてやる。
スマホでさっさとメールをして、もう一度この男を睨みつけた。
「さっき言ってたけど、ペットってどういう意味?牧野に・・・」
その後の言葉を出すことが出来なかった。こんな男に・・・そう思うとそれを想像したくない。
牧野の口から真実を聞く?それも残酷なことだ。だけど、この亮って呼ばれていた男は薄笑いを浮かべて俺の質問に答えた。
「つくしは俺の言うことならなんでも聞くんだよ・・・脱げって言えば脱ぐし、来いって言えば来るんだ。それがペットってもんだろう?
俺が出した金をつくしが返すまでこれは続くんだよ!そういう契約だ!」
「返せばあんたはここから消えるわけ?その契約はどうする?俺と結ぶ?」
「さぁな!そんなもの出されてみないとわかんねぇよ。だけどよ・・・あんたみたいな男が俺の使い古しの女でいいわけ・・・」
その言葉が終わるかどうかって所で我慢できなくなって俺はこの男の胸ぐらを掴んで首を締め上げた!
俺よりもかなり小柄なこいつはすでに足が宙に浮いてる!このままだと完全に窒息する・・・そう思ったけど許せなかった!
「ぐわぁ・・・っ!ゴホッ・・・!はっ・・・離せよっ!ぐっ・・・」
「許さない・・・それ以上牧野の事を侮辱するんなら・・・っ!!」
その時、ドタバタと足音が聞こえてガチャッ!とドアが開いた!
「失礼致しますぅ・・・花沢物産専務秘書の藤本と・・・うわぁぁっっ!専務っ!何してるんですかっ!!」
入ってきたのは藤本。俺がこの部屋で見知らぬ男を締め上げてたんだから無理はないが、思いっきり社名と名前を出して挨拶した・・・ホントに秘書の鏡なんだけど、今ここでは言わなきゃいいのにっ!
そして今にも殺人犯になろうかっていう俺の真後ろまで来て、慌てて俺の腕を掴んで亮という男を解放させた。
「いきなりメールで一千万用意しろなんて脅迫状みたいなこと送ってきて、このアパートまで私を呼んでおきながら、なんで人様を締め上げてるんですかっ!まったく・・・姿を消したと思ったらこんな所で何やってるんです!これが社長に知られたらどうなると思ってるんですか!花沢物産の跡取りですよっ!もうっ!」
「・・・藤本の方が喋りすぎだよ。持ってきてくれた?」
「はっ?あぁ、はいはい。・・・はい、一千万円です」
まぁ、一千万なんて大きめの茶封筒に入るくらいのものだ。それをテーブルの上に置いた。
「これでいいんだよね?もう、牧野から離れてもらうよ。藤本、誓約書今すぐ作ってくれ。スマホで出来るよね?」
「へっ?あぁ、はいはい、誓約書ですね?・・・文面は?」
「・・・俺が書くから!」
藤本に電子書面で誓約書を作らせて、そこにこれ以上牧野つくしに近づかないことと言う内容を記入した。
それをこの男にサインさせ、茶封筒を目の前に突きつけた。
男はその中身を確認すると、ただ茫然として俺たちを見ていた。牧野をここから出して30分も経っていない。
「牧野はもうここには帰らないからね。無断外泊ってことにはならない。二度と彼女の前に現われるなよ」
何が何だかわかってない藤本を連れてこの部屋を出る。
これですべてが終わったかどうかはわからないけど、とにかくこれ以上牧野に辛い思いはさせられない。
ガチャンとドアを閉めて急いで階段を降りるとアパートの横で震えながら踞っている牧野を見つけた。
近寄ると顔を上げて、その泣きはらした赤い眼を見せた。どのくらい泣いたらそんな色になるのさ・・・そのくらい赤かったんだ。
手を差しだしても取ろうとはしない。
「牧野、うちに帰ろう?もう・・・終わったよ」
「類・・・ごめんなさい。ホントにごめん・・・」
泣かなくてもいいよ?でも話は聞かせて欲しい・・・牧野の言葉のほうを信じるから。
泣きじゃくる牧野を藤本が乗ってきた車に乗せて、このアパートから走り去った。
この光景を上から亮が見ていたことはわかっていたけどね。
「泣きたいだけ泣いていいよ。俺が傍にいてあげるから・・・おいで」
小さな肩が小刻みに揺れるのを両手で抱き締めながら、車は花沢邸に向かっていた。