10月の向日葵 (140)
やはり帰りも車なのか?と多少うんざりしたけど、俺が都内をウロウロする方が気になるらしい。
仕方なく車に僅かな荷物を乗せて、住職のところに挨拶に行った。
その時間、住職は庫裡(住職の住まい)にいたためそちらの方に足を向けると、ちょうど預けていた俺の荷物を持って出てきたところだった。
「おぉ、もうお迎えが来られていましたか・・・それはお待たせしましたな。それではこちらがあなたがここに来られたときの荷物です。確かにお返ししましたよ」
「大変お世話になりました。修行になったかと言えばお恥ずかしい限りですが」
「ほっほっほ、いいのですよ。あなたはここで一生過ごすわけではないのですから。こちらこそ美味しいお茶を点てていただいて嬉しゅうございました。どうぞ、これからも続けてくださいよ?総二郎さん、ご両親に宜しゅうな・・・」
「はい、戻りましたら必ず伝えます」
終始穏やかに接してもらった住職に深く頭を下げて、この山寺を降りた。
車の中でまず最初にしたのは祥兄に電話をすることだったが、2ヶ月近く充電していないスマホは放電していて使えなかった。仕方なく運転手から電話を借りて祥兄に電話をした。
『もしもし・・・?』
「俺だ!祥兄、昨日はどうだったんだ?今、うちの車の中からだけど全然話がわかんねぇんだけど!」
『総二郎か!誰かと思った!そうか、電話が使えなかったのか!』
「そんなことはどうでもいいから!・・・出来たのかよ。自分の思う通りの茶会が出来たのか?」
『・・・あぁ、何とかな。だからお前を迎えに行ってるんだろう?詳しいことはこっちで話そう。ご苦労だったな、総二郎』
「そうか、それならいいんだ。納得いく茶席が出来たのなら・・・つくしには?電話したのか?」
『馬鹿言え!つくしに電話するのはお前の仕事だろう。早く安心させてやれ。あいつも何も知らないからソワソワしてまた蒼が被害者だ。どんなドジ踏んでるかわかんないぞ?』
祥兄の声は明るかった。
そっか・・・じゃあ、取り敢えず西門のヤツらには認められたんだな!俺はやっと・・・つくしの所に帰れるんだ。
そう思うと今度はつくしに電話しようとするけど、手が震えて上手く操作が出来なかった。
なんだ、情けねぇ!こんな時に目が霞んで・・・上手く数字が押せねぇだなんて。
運転手にそんなところを見せるだなんて冗談じゃない。
暫く自分が落ち着くのを持ってから、もう一度電話を握り締めた。
コールするけどいつまで経っても電話に出ない。理由はわかってる、この電話番号が知らないものだからだ。俺の言うことを守って知らないヤツからの電話には出ないようにしてるんだな?
だから散々鳴らしまくって、つくしが出るまで切らなかった。
鬱陶しいほど鳴らしたらやっと電話に出た。思った通り名乗らなかったから少しだけ可笑しかった。
『・・・・・・』
「俺だって!つくし・・・だろ?」
『・・・総二郎?総二郎なの?』
「ははっ!そう、俺!電話がさ、寺に預けっぱなしだったから放電して使えなかったんだよ。だから別のでかけてるんだ」
そう言うとはぁーっ・・・って大きな溜息ついて、そのうちクスクス笑い出した。
『もう!びっくりしたよ!何回鳴らしたら切るんだろうって思いながらずっと持ってたんだよ?すっごい根性の人だと思ってさ!総二郎なら早く出れば良かった!ホントに怖かったわ・・・でも、あんまり鳴り続けると蒼が起きちゃうからって思ってね』
何だろうな。2ヶ月以上話してないのに、まるで昨日も話したかのような自然な会話・・・それが出来ることに驚いていた。
最後に聞いたつくしの声は少し悲しげだった。今日のつくしは出会った頃のような元気な声だった。
「ごめんな、驚かせてさ。今東京に向かってる。祥兄の茶会、上手くいったらしいんだ。だから呼び戻された。今から話を聞くんだけど、それが終ったらお前のところに帰れる。やっと、蒼に会えるんだ、俺・・・」
『・・・・・・』
「つくし?聞いてるか?俺な、やっと蒼に会えるんだぜ?お前の飯、食いに帰るから美味いもん作ってくれよ?」
『・・・・・・・・・』
「何か言ってくれよ・・・つくし?おい、聞いてるんだろうな!本気で寝てないよな!」
『・・・寝てなんかないよ。起きて・・・るよ。ちゃんと、き、聞いてるよ・・・』
電話の向こうのつくしは泣いてた。
必死に我慢してるみたいだったけど、何度も鼻をすすって咳き込んで誤魔化して。
「まだ泣くなよ。泣くときは俺がそっちに行ってからだ。それまでは我慢しろ!・・・いいな?」
ほんの少し寺での話もしたけど、つくしは「うんうん」って言うばかりで何も話せなかった。
それから暫くしたら蒼が起きたんだろう、泣き声がまた聞こえてきた。前よりももっと元気な泣き声だ・・・それがすごく嬉しかった。
慌てたつくしにまた電話するからと伝えて電話は切った。
車はまだ北陸自動車道を上越に向かっているところだ。これからまだ上信越自動車道に入って東京を目指す。まだ到着まで5時間ぐらいある。
昨日寝られなかったせいか睡魔に襲われて、そのまま寝入ってしまった。
********
その知らない番号からかかってきたのは総二郎だった。
絶対に知らない電話番号からかかってきてもとってはいけないと言われてたから、鳴り続ける電話を睨みながらどうしようかと悩んでいた。でも、長すぎるよね?これって出るまで鳴り続けるんじゃないの?
名乗らなければ大丈夫かな?って思って恐る恐る電話に出たら・・・彼の声が聞こえてきた。
少し低い、でも優しい声・・・2ヶ月間聞きたくて仕方なかった総二郎の声だ。
実は昨日がそのお茶会の日だって知っていたけど、誰からも何の連絡もなかったから不安で堪らなかった。祥兄ちゃんが連絡をくれないって事は良くない結果が出たのかと思っていた。
祥兄ちゃんが失敗したとかは思わない。
ただ家元達がやっぱり総二郎を離さないんじゃないかって・・・それを私に言うことが出来なくて連絡がないんだと思ってしまった。
だけどそうじゃなかった。
祥兄ちゃんはちゃんとお茶会をやり遂げて、総二郎は東京に向かっているって教えてくれた。
『まだ泣くなよ。泣くときは俺がそっちに行ってからだ。それまでは我慢しろ!・・・いいな?』
無理だよ・・・泣いちゃうよ。我慢なんて出来ないよ・・・!
うんうんって頷いたけど、もう私の頬には涙が流れてて止めることなんて出来なかった。
ちょうどその時に蒼が泣いてしまって、慌てて電話は切った。
「うわぁーーん!ああーん!!」
「あぁ、ごめんね!ママが泣いちゃったからかな・・・でもさ、蒼、これはね嬉しいからなんだよ?」
「・・・あ~、あ~」
「うんうん・・・ごめんね、ちょっとだけ蒼の前だけど、泣いちゃってもいいかな。パパはダメだって言ったんだけどね・・・」
どれくらい泣いただろう。
私は蒼を抱き締めて、声をあげて泣いてしまった。
蒼・・・もうすぐパパが戻って来るんだよ?
あなたのことを抱っこしてくれるよ?
初めて蒼を見た時、彼はなんて言ってくれるかな・・・。それを考えながら涙を拭ったら私の頬に蒼の可愛らしい手が伸びた。
この温かい手を早く握ってやってね・・・総二郎。
帰ってくるならいつだろう。
今から西門に帰って、それから話し合いをして・・・明日の午前中には東京を出るかもしれない。
それなら北海道に来るのはお昼過ぎ・・・?
「いけない!お買い物行かなきゃダメじゃない!総二郎の好きなもの作らないとね、それとお酒は届けてもらわなきゃ!」
急に忙しくなった。
でも今度は顔が笑ってしまう。
長いこと自分のご飯しか作らなかったから冷蔵庫にはそんなに食材がなかった。開けて見たらホントに少しだけ。
これが今度からは2人分作れるんだと思うと嬉しかった。
急いで蒼を着替えさせて、お財布を持って、ベビーカーを用意して・・・あぁ!でも何を作るか全然考えてなかった!
「ど、どうしよう!何作ったらいい?えっと・・・総二郎は何が好きだったっけ。お寺にいたなら和食だよね?じゃあ洋風なものがいいかな・・・うわっ!思いつかないわ!」
家の前の道をベビーカーを押しながら歩いてたら鼻歌が出ちゃった。
こんなに楽しいお買い物は久しぶり。
お店に入っても買い物カゴに食材を入れる度に総二郎のことを思った。
きっと何でもいいんだよね。2人で食べたら全部がご馳走・・・そうだよね?総二郎。