FC2ブログ

plumeria

plumeria

-
6月になって梅雨入りし、野点なんて予定も立てられないのにスケジュールだけは第3日曜日として組まれ、それに合わせての稽古が続いていた。
立礼棚での作法も3ヶ月目に入るから慣れたと言えば慣れた。
だが畳の上が落ち着く俺には気が滅入るだけ・・・稽古といっても心が追いついてこなくて指先に気持ちなんて込められなかった。



「総二郎様、少し宜しいでしょうか?」

茶室の前の廊下に紫が来た。
ここは自室じゃないし1人での稽古中・・・断わることも出来たがこれをお袋に報告されて騒がれるのも面倒だ。仕方なく「どうぞ」と言えば静かに障子が開いた。

そこに現れた紫が着ているのはお袋の着物?
ブルー地に辻が花模様を古典的な彩色で染め上げた特注品で、華やかな印象を与える単衣の着物・・・代々西門の家元夫人が自分の跡を継ぐ事が決まった女性に譲ってきたものだ。

そんなものをまだ公表する前から渡しているのかとムカついたが顔には出さなかった。
それはいずれ牧野が着るだろうと思っていた着物だ。あいつが着たなら一も二もなく喜んで抱き締めただろうにな、って事だけが頭を過ぎった。


「お稽古中に申し訳ございません。実は今度の岩代様の野点にお召しになるお着物ですが、こちらで宜しいでしょうか?
もし、他のものをと言われるのでしたら手配致しますので、急いで聞いてくるようにとお義母様に言われましたの。如何でしょうか?」

紫は持ってきたものを俺の前で広げた。
出てきたのは艶やかな青色の単衣と「仙台平」と呼ばれる縞の正絹袴。それに合わせた夏用の羽織。今紫が着ている着物にさりげなく合わせているかのように感じてすぐに返事が出来なかった。


「お気に召しませんか?」

「いや・・・少し派手過ぎやしないかと思ったぐらいだ。野点だからあまり庭にある色彩に反するものよりも、自然の色に馴染むものの方がいいと思うが。でもまぁ、それでいい。どうせお袋が選んだんだろう?」

「・・・はい。私もそれに合わせなくてはいけないようですので」

「あんたが?・・・なんであんたが合わせるんだ?」

「私もその場に居るからでございましょう」


その言葉に驚いて紫を見たが、彼女はいつものように表情を変えず俺の方を見ていた。

野点の席に紫も居る?
確かに嗜み程度の茶道の心得はあると聞いていたが、それはあくまでも客として招かれた場合に正しい作法で場を過ごせるものだと思っていた。それがもてなす側になると全然動きが違うのに?

紫とここで過ごすようになってからもこいつの点前を見たこともなければ茶を飲んだこともない。
親父かお袋が教えているとも聞いたことがない・・・そのうち俺が紫の師匠だと言われたが、いまだに教えるような雰囲気になった事なんてなかった。

しかもそれを誰も急かさなかった。
お袋は西門のしきたりを教えることと紫を連れ回して顔を覚えさせることに必死だったし、俺と家元は殆ど顔を合わせなくなったいたから。だが、岩代の話を始めに持ってきた時でさえ紫の同席なんて言わなかったじゃねぇか!


「あんた、茶を点てられるのか?」

「大変申し訳ございませんが、人様に差し上げるようなお茶を点てられるか、と言う事でしたら無理だと思いますわ。そこまでのお稽古はしておりませんから」

「それなのに何をしに来るんだ?ここで行うならまだしも岩代家に出向いての野点だ。何も出来ない人間が来ても役には立たないだろう。まさか家元に半東をしろと言われたのか?」

「確かにそのような事は言われましたけど、私は亭主側の事情は何も知りませんと申し上げたんですけれど・・・」

「亭主の仕事を黙って補佐するのが半東の仕事だ。いちいちその場で指示は出さない。
だから半東というのは亭主との信頼関係が1番大事だし、亭主の茶会の作り方を知っている人間が任されるものだ。悪いが俺とあんたに信頼関係なんて生まれてもいないし、茶会の流れすら知らない人間に回りをウロウロされても迷惑なだけだ」


言葉が悪いとは思うがストレートに迷惑だと告げた。
だからといって紫が悲しそうな顔をするかと言えば・・・そんな事はあるわけがない。そりゃそうだろうと言う悟りきった顔をして、持ってきた着物を綺麗にたたみながら平然としていた。


「総二郎様・・・」

「なんだ」

「1番初めにお会いした時に申し上げましたでしょう?私達は愛情を持ったり信頼関係を無理に持たなくてもいいのです。私はそれが絶対条件ではございません・・・と。必要なのはあなた様の子供を産むこと、それだけですから。
ですから今のお言葉にもなんの感情も湧きません。むしろ仰る通りだと思いますけどお家元のご命令なのです。ですから当日は邪魔にならないようにお側に居りますわ。ご心配なく・・・手を出せるほど野点というものの経験がございませんから」


それだけ言うと着物を持って茶室を出て行った。
最後に1度だけ、美しい笑顔を俺に見せながら。



***************



手術予定日まであと3週間・・・やっと10ヶ月目に入った。
働かなくなって安静にしていたからお腹の張りもそこまで酷くなくて、血圧もずっと変わらなかった。急激に上がれば即入院と言われていたけどそれもなく、鎌倉の別荘でのんびり海を見る毎日。

だけど赤ちゃんの動きがどんどん激しくなって、夜もぐっすり寝ることなんて出来ない。
2人が殴り合いして怪我してたらどうしよう、なんて小夜さんに言ったら大笑いされた。

「美作の奥様が良く言ってらしたのは『さっきお腹の下の方を蹴ったのに今度は胃の下を殴られたわ!』だったかしら。良くそんな狭いところをぐるんぐるん回りますよね~って話してましたねぇ。大事を取って早くから入院されていましたから1時間に何度も呼び出されたのを覚えていますわ」

「あはは!おば様らしいですねぇ!」

「ちょっとした事でも泣きながらナースコールで叫ばれるんです。ふふふっ、懐かしいですわ。でもお生まれになった後は旦那様が大泣きで・・・あっ、ごめんなさい!」

旦那様って言葉を出したからなのか小夜さんが自分の口を覆ってしまった。
だから「気にしないで」って笑うと静かに頭を下げて部屋から出て行った。


西門さんが出産に立ち会ったら、やっぱりそうやって大泣きするのかしら・・・あの人が?
それは想像できなくて、むしろ誰がいても構わずにクタクタの私に抱きついて離さないんじゃないかな。それだと想像が出来て可笑しかった。

可笑しくて笑うのに悲しくなった。だからその想像はそこでお終い。


身体で心配なのはむくみだった。
あんまり増えなかった体重もここにきて急に4㎏も太ってしまって、足がパンパンに・・・このままだと歩けなくなるかもしれないからって念のために置かれた車椅子。
それを見る度に大変な事が待ってるんだなって実感が湧いて怖かった。

浮腫み防止の着圧ストッキングを履くのも一苦労。小夜さんに手伝ってもらって履かないと自分ではそれも出来ない。


「よくこれでギリギリまで働くなんて言ってたなぁ・・・しかも旅館でだよ?あのままだったらとっくに入院してたかも。気力だけじゃどうにも出来ないのよね。はぁ・・・でも、あともう少し。もう少しで会えるね・・・」


お腹を摩ったらまたポコン!と蹴られた。
『準備はいいか?』って挑戦状、叩き付けられた気分。

「準備は出来てるわよ?いつでも出てきなさい、お父さんの分まで思いっきり相手してあげるわ」

そう言うと今度は違う場所をドスッ!と蹴られた。今度のは結構痛かった。
『覚悟してよね?』ってこっちも今からやる気満々みたい。

「雑草の私を馬鹿にしないでよ?根性だけなら負けないんだから!」

そう言えば静かになった・・・ふふふ、私が勝ったのかな?



「牧野様、お茶にしましょうか」

小夜さんがそう言って小さなお菓子を持ってきてくれた。
だから「はーい!」と返事して椅子から立ち上がり、テーブルの方に歩いて行った。


『気をつけて歩けよ!ドジなんだから!』


窓の外からそんな声が聞こえた気がして振り向いたら、小さな雨が降り始めていた。





5d96560cef7b293e602ac4882ca86d2b_t.jpg
関連記事
Posted by