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plumeria

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長く続いた廊下から庭に降り、先ほど見た庭園を横目で見ながら奥に進んでいくと上品な枝折戸があり、その向こうに野点の席が見えた。
赤い傘を幾つも立てられているが、少々この時期には暑苦しく感じられる。


「それではこちらよりお入り下さいませ。もうあちらにご隠居も居られますので」

「ありがとうございました」


この枝折戸で案内の女性は立ち止まり俺達に軽く頭を下げた。
親父から順に一礼して庭園内に入り、最後に紫が通った後で戸は閉められ、女性はそのまま引き上げていった。

岩代家の北の庭は紫陽花が所々に品良く植えられていて、その色合いもバラバラではなく統一されていた。余程腕のいい職人がいるのか発色の良さは土壌管理が行き届いていると言うことだ。
特に青い額紫陽花はこの時期の茶花の代表でもあるし西門にも多く植えられている。都内では珍しく紫色の山紫陽花も上品に咲いていた。

成る程・・・この庭の自慢も兼ねての梅雨時の野点か?


俺達が会場に姿を現すと、茶席に座っていた連中が静かに立ち上がり頭を下げる。
中には俺の横の紫の姿に驚く人間も居たが、ひそひそと噂される声には反応もせずに岩代の爺さんの所に向かった。


爺さんは車椅子に座って会場の中央に居た。
ニコニコと満面の笑みを浮かべ、俺の棚が準備されている茶席の真ん中に大勢の使用人を従えて待っていた。その横には現当主、その家族・・・其奴らが似たような笑顔を見せて並んでいた。

茶席というものをあまり判っていないのか?
奥方は派手な着物に指には遠目でも判るドデカい指輪が光っていて、如何にも高級品だと思われる帯留めまでしてやがる。アクセサリーも帯留めも、道具類を傷付けないために付けないのが礼儀。
2人の娘に至ってはこれもまた超派手な大振袖・・・そんな色がこの風流な庭の中でどれだけ浮いてしまうのか判ってないんだろう。


「梅雨の最中、本日はこのように晴れて誠に良かった。本日は西門流の若宗匠にお茶を点てていただこうと思っております。この若さで随分と良いお茶をお点てになると評判ですからな、楽しみですわ」

「・・・畏れ入ります。心を込めて点てさせていただきます」

「ほほほ、それに本日は特別な茶碗を皆様にもご披露しようと思っております。是非、若宗匠のお茶席にてご覧いただきたい。宋の時代の油滴天目茶碗でございましてな、とある方から譲り受けましたものです」

この茶碗の「価値」が判っているのかいないのか、招待客が溜息を漏らす中で野点は始まった。


招待客は50人程度だが、中には見たことのある企業家や政治家の姿もあった。他には岩代に縁のある人間や華道家、書道家の面子も揃っていて気が抜けない。

当然、現西門の後援会長、鷹司氏の姿もある。
俺はこの鷹司会長を誰よりも信頼していた。思慮深く品があって、話していると不思議と心が落ち着く・・・昔から何かがあると俺の相談相手になってもらっていた。

だが、流石に今回の件は事が大きすぎて会長にも頼ることが出来なかった。
話してしまえば口から出るのは親父に対する恨み言でしかない。それを聞かされる会長の心情を考えると・・・それに、この人にまで西門流を擁護する言葉を出されたら俺の心の行き場がない、そう思ったから。

そんな俺の状態も家元からは聞かされているのだろう。
俺に向かって穏やかな笑みを浮かべて見せたが、気を利かせたのか親父の茶席の方に向かった。


今日は中央では俺、その左右にも茶席は作られていて親父とお袋も点てることになっていた。
招待客は何処の茶席を選んでもいいが、爺さんは俺の目の前・・・自慢の天目茶碗で飲むのだと公言したのだから当たり前だが、その時を今か今かと待っているようだった。

紫は鬱陶しいが俺の横に静かに座っていた。
この時点で紫の紹介などはないから半東だと思っている人間もいるかもしれない。ただ、親父とお袋の後ろにも弟子が控えているが西門の揃いの着物を着ている。
紫だけが俺と合わせた着物を着ていることを不思議に思っても仕方ないが、説明しないのならそれでいい・・・この女を無視して1人で準備を進めた。



今日使うのは末広棚と呼ばれる立礼式の棚で半円形に広げた形をしているものだが、その隅には電気式の炉が備え付けられていて、そこで釜を掛け湯を沸かす。
茶道具は予め弟子達が茶箱に詰めて客から見えない所にセットしていたから、そこから出して棚の上に並べるだけ。

問題は横に置かれた台の上の天目茶碗・・・まずはこれで茶を点てて爺さんに差し出し、その後控えてる招待客に別の茶碗で一気に茶を点てていく。
紫の仕事と言えばこの時の客回り・・・果たしてそれが出来るのかどうか。


野点の場合、濃茶と違って茶碗は1人ずつ。
だから湯が沸く間に半東の役目をする弟子は亭主の左側に次の客のための茶碗を3つまで揃えておく。そして点てた茶を順に客に渡していき、また戻って来て次の茶が出来たら持って行く。
茶碗を補充して亭主が動かなくてもいいように補佐しながら、飲み終わった茶碗の回収と、同時に茶菓子を置いて回る。

実は結構忙しい役目だが、教えたくもなかった俺はこいつとの稽古なんてしなかった。
本来はゆっくりと時間を掛けて自然を楽しみながら飲むものだから、紫が動かないのであれば自分が行けばいいだけのこと。だから言葉も掛けずに黙々と作法を続けた。

見れば親父とお袋の茶席の弟子は手順を心得ているから静かながら手早く次の準備をしている。
それを見たからなのか紫も動き出したが、要領を得ないので更に控えていた弟子が紫に指示を出していた。勿論招待客はこっちの事情なんて知らないから、何が起きてるかなんて判らないだろうが。


まずは問題の油滴天目茶碗で爺さんのために茶を点てる。

周りには悟られないように深呼吸してまずは遠目で庭を見渡し、ここの空気を吸い込んだ。
連日静かに降っていた雨の名残か庭の隅には湿り気を帯びた木々の幹があり、その脇で静かに己を主張する山紫陽花を見る。雨に洗われた葉が美しく、そこまで青を強調しない空が頭上には広がっていた。

久しぶりにこんな気分になったな・・・と、今まで塞ぎ込んでいた気分を少しだけ解放して目の前の茶と向き合った。


炉が使えないから電気というのがあまりにも風情ないが仕方ない。
そこで沸かした湯を汲み、抹茶を入れた茶碗に静かに注ぐ・・・そして久しぶりに心落ち着けて茶筅を回し、爺さんに茶を差し出した。


「・・・結構なお点前ですな。いや、流石西門の若宗匠・・・とても美味しゅう御座います」

「ありがとうございます」


どうせ茶の味、と言うよりこの後に茶碗の自慢をする心の準備の方が忙しいのだろう。
好きにすればいい、と爺さんのことは置いておいて次客の茶の準備に入った。

だが慣れない紫が茶碗を置く位置がいつもと違ったり、客へ運ぶ手順がおかしかったりと集中が出来ない。粗相というわけではないし、本人が取り乱す訳でもない。
だから亭主席は凄く自然に回っているように見えるかもしれないが、俺の中ではイライラが溜まっていった。

「そこには触れないでくれるか?自分でしたいから」
「茶碗の置き方が違う。もう少し端に置かないと腕が動かせない」
「そこには配線があるから通るな。躓いたら場がシラケる」
「奥の席の茶碗が空いてるようだ。取ってきてくれ」

その度に軽く一礼して何事もないかのように動いているが、俺が気に入らないからなのかテンポが合わないのか、どうしても紫のする事に腹が立って仕方がなかった。


「紫・・・お前は目立たないように動かないといけないのに何故俺の目の前を歩く?亭主前を歩くなと言ったはずだ。野点であってもこっちの作法を見ていただく意味もあるんだから」

「あっ・・・そうで御座いました。忘れて居りました。申し訳ございません」
「声が大きい!」


この棚の隣には爺さんの油滴天目茶碗を席から引き上げて置いていた。
拝見したいという申し出があればいつでも見せられるように・・・だからそこだけは何があっても事故を起こすことは出来ない。

時々天目茶碗に目をやりながら、残りの客に茶を点てていたその時だった。


「総二郎様、湯が少なくなったので奥で沸かした釜と変えた方が宜しいのですよね?」
「え?あぁ、そうだな。頼む」

「判りました」

新しい釜を持ってきた紫が棚の電気炉にそれを置き、湯の少なくなった方を持ち上げた時に蹌踉けて、ほんの少しだけ俺の左腕に釜を当てた!
直火じゃなくても湯を沸かしていた釜だがら当然熱い!着物越しとは言え、不意に当てられた俺が驚いた瞬間、自身でも驚いた紫の足が末広棚の足を蹴り揺らしてしまった。


その振動で右側に置いていた水指の蓋がずれて転がり落ち、隣にあった天目茶碗に・・・!!

天目茶碗の底は口径に比べて高台が小さく倒れやすい・・・しまった!と思った時には遅かった。


岩代の隠居が自慢したかった油滴天目茶碗は、俺と爺さんが見ている目の前で棚から転げ落ち、乾いた音を響かせて砕けた。
その瞬間・・・この野点会場はシーンと静まりかえり、驚愕の表情の隠居は車椅子から立ち上がっていた。




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