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plumeria

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その部屋は何も変わっていなかった。
小さなキッチンも古いテーブルも、窓に掛かっているカーテンもあの時と同じだった。
聞けば私が出て行ってからは住み込みで来る人なんてなくて、この部屋は使われなかったとか・・・天井のシミも薄暗い蛍光灯も何もかもが同じ。

締め切っていたから何となく籠もったようなムッとする匂い・・・1度窓を開けて空気を入れ換えたけど、外も蒸し暑い潮風であんまり大差ないみたい。
私が居たのは1年と少し前だからエアコンなんて使わなかったけど、恐る恐るリモコンのスイッチを入れると旧式のエアコンが動き出した。

ふふっ、古いから結構音がする・・・美作さんは前にも来たのにまた驚いていた。


「気分はどうだ?牧野、お前・・・本当に今は大丈夫か?」

「ん?うん、大丈夫だと思う。あのね・・・変だと思うかもしれないけど、この1年間の自分の事、何処か別の所から覗いて見ていた感じなの。判ってるんだけど心と身体と頭がバラバラって言うか・・・頭で判ってても身体が動かないとか、身体は動いてるけど心は閉じてるとか?
それをね、もう1人の自分が何処かから見てるの。そして、戻らなきゃって叫んでるんだけど聞こえてないの」

「それが日々色んなパターンで出ていた事も知ってるのか?」

「うん。見えてない訳じゃないけど見ようとしなかったり、聞こえてるけど頭はそれを拒否したり、そうかと思えば身体だけが動きたくて仕方ない時は心を無視してはしゃいだり・・・小夜さんが大変だって判っていたけど止められなくて、それが夜になったら私を責めるの。みんな自分が悪いのよって・・・もう1人の私が責めるの」

「そうか・・・」


部屋の温度が少しだけ下がってきた。
それまで窓際で外を見ながら話していたけど、狭い部屋の真ん中にテーブルを出して、それを挟んで2人で向かい合った。通気のためだろうけど半分開けられた押し入れの中にはお布団が見える。
瞬間、何故か美作さんが照れたように俯くから可笑しくて・・・クスクス笑ったら髪の毛を人差し指で掻いてた。

「奥さんに悪いと思ってるんでしょ?」って言うと「五月蠅い!」って言いながら、慌てたようにスマホにメールが来てないかって確認したりして。
何も連絡は無かったみたいで「ふぅ・・・」って息を吐いたら、また真面目な顔に戻った。


「責められた時は、その意味が判ってるって事?」

「う~ん・・・そうだなぁ。判ってたんだと思うけど耳を塞いじゃうって感じだったかな。
たまには全部が私の中に戻って来て『牧野つくし』になるんだけど、その時には子供達のことで心が一杯になる・・・会いたくて抱き締めたくて堪らなくなるの。それを堪えてるとまた鬱になってく・・・そんな毎日だった」

「病院の事は?自分で子供を抱いたことは覚えてる?」

「うん・・・覚えてる。あのね・・・上手く言えないかもしれないんだけどね」


美作さんの穏やかな声に安心して、これまでの事を話した。


あの記者会見の日から少し経った時、どうして子供達は私の部屋に居ないんだろうと不思議に思って看護師さんに聞いたら思いがけない言葉が返ってきた。
『あら、今は普通なのかしら』って・・・その時には意味が判らなかった。

でも、その時思った・・・そう言えば昨日は会ったっけ?お乳なんて最近飲ませたっけ?あの子達、どんな服着てた?ここに来たのはいつ?
私・・・今日は午前中に何したっけ?って、全然自分の事が判らなかった。

それが怖くなって、誰も居ない時に自分の症状をネットで調べた。そうしたら精神疾患かもって・・・それを読んだ時にもっと怖くなって気が狂いそうだった。


・・・ううん、そんな事はない。
私はこの子達を立派に育てて、父親の分まで愛してあげるんだから。
母親だけでも愛情はたっぷりで、毎日が楽しくて笑ってばかりで幸せで、3人で「川の字」になって寝るの。

西門さんが迎えに来てくれなくてもいい・・・そんな事は判りきってたじゃない。大丈夫・・・大丈夫・・・大丈夫だから。

・・・その言葉を繰り返した。



「その大丈夫って言い聞かせた瞬間、何処かから『嘘つき!待ってたくせに』って声が聞こえる気がしたの。その声から逃げたくて逃げたくて・・・そのうち逃げられたのよ。病気って言う世界に・・・」

「俺に双子を頼んだ時の事は?」

「それはちゃんと覚えてる・・・もしかしたらもう自分がこの世界に戻ってこないかもしれないって思ったの。だからどうしても子供達は安全で安心な場所で育って欲しくて必死だった。ちゃんと覚えてるよ・・・私、自分の意思であの子達を手放したの」


「じゃあ、その事だけど・・・」
「失礼しますよ。お茶を持ってきたよ、つくしちゃん」

美作さんが何かを言いかけたと同時にドアが開いて、女将さんがお茶を持ってきてくれた。
急いでそのお盆を受け取って、女将さんを部屋の中に入れた。

美作さんは言葉を遮られて1度は溜息をついたけど、ここは何の話なのかはすぐに判った。
そして、それはお世話になった女将さんにも聞いてもらわなきゃって思ったから、自分からこの人の同席を申し出た。「でも・・・」なんて美作さんに遠慮していたけど、中半強引に説得して私の横に座ってもらった。

凄く簡単に、今ここで2人が話したことを女将さんにも教えて、自分にちゃんと意識があることをもう1度言葉に出した。


「美作さん、女将さんにも伝えなきゃいけない内容だから続けていいよ。子供の事・・・だよね?」

「あ?あぁ・・・まぁな。じゃあ続けるけど、牧野が戻ったんなら紫音と花音をお前に返そうと思う。ここから戻った後、働けそうなら仕事を見付けて、落ち着いたらでいいから親子で暮らさないか?家ならあのままで・・・」
「あ、あなたはその方がいいんですか?!子供達が面倒って意味ですか?」

「・・・は?」

女将さんは美作さんにそんな事を言い出して、思わず身を乗り出したから隣から腕を押さえた。彼もその言葉に驚いたようで、でもクスクス笑いだした。
女将さん、美作さんが子育てなんてしたくないから返そうと思ったんだ?その表情は凄く真面目だったけど、私は美作さんの優しさを知っていたからちょっと可笑しくなった。

「女将さん、この人はそんな人じゃないです。歳の離れた妹さんも可愛がってるし」
「・・・そう思われても仕方ないような言い方でしたね。でも逆です・・・紫音も花音も凄く可愛くて自分の子供のように思っていますから」

「そ、そうなんですか。申し訳ございません、あの・・・邪魔だと思われたのかと思って・・・」

今度は私の横で小さくなって慌てたようにお茶を口に運んだ。
私と目が合うとシワシワの口をへの字に曲げて困り顔・・・「気にしないから大丈夫」って言うと美作さんも同じように頷いた。


「実は私の妻は病気で子供を産む事が出来なくなったんです。ですから、妻も心身共に疲れ果てて毎日精神安定剤に頼る日々でした。双子はその妻にとって余計にストレスを与えるのか迷いましたが快く受け入れてくれて、今は本当の親子のようになっています」

「・・・そうだったんですか、それは大変でしたねぇ・・・」

私がその事に驚かなかったから美作さんは「知ってたのか?」なんて呟いた。
それにコクンと頷くと「お袋か!」って苦笑い・・・そして話を続けた。


「今は特別養子縁組みという形でうちの子供にしてありますが、これも牧野次第で養子縁組を解消し、少し条件はありますが牧野姓に戻すことは可能です。そして妻にもそう言う流れになるかもしれない、期間限定の親子になるかもしれないとは話してあります」

「それでも納得されてるんですか?そんな不確かな状態なのに?」

「私も反対すると思っていましたが、これも自分が変われるチャンスかもと言ってくれました。それに牧野の回復期間が判らなかったので、もしも長期に渡って不安定なままならいずれは美作の子供として世間にも公表し、私の跡を継がせるかもしれないと言う話も両親にしました。勿論こちらも美作家は全員が納得しています。
でも、今回牧野は自分を取り戻した・・・今ならまだ1歳と少しだ。美作で育った記憶なんてそのうちなくなる。今なら牧野が母親に戻れると思うんです。どうだ、牧野・・・そうしないか?」


想像通りの話・・・美作さんはきっとそう言うと思った。
女将さんも私の手を握って「そうしなさいよ!子供が戻ってくるんだよ」って嬉しそう・・・だけど、私の気持ちは決まっていた。


「ありがとう、美作さん。でも、我儘でごめん。このままでもいいかな・・・」




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