FC2ブログ

plumeria

plumeria

-
梅雨の終わりの7月・・・先代の一周忌が京都で行われた。

この日には西門血縁の人間は当然勢揃い、各支部の支部長始めとして地方の後援会主要幹部まで顔を揃え、葬儀の時と変わりない盛大な法要となった。取り仕切るのは親父で俺はその補佐役。

この大人数をそのうち纏めなきゃいけねぇのかと、少しばかり気が滅入って客の姿を眺めていた時、後ろから声を掛けてきたヤツがいた。

「総二郎・・・久しぶりだな」
「・・・あぁ、祥兄か」

茶道家になる事を拒否したために先代から酷く叱責され「2度と西門の敷居を踏むな!」と言われた長男、祥一郎。
1度病院で倒れた先代を遠目に見ただけで、葬儀の時には仕事で渡米していたから親父が体面を気にして呼ばなかった。流石に今回は出席して紫とも顔を合わせた。

「・・・迷惑掛けるな。俺が家を捨てたせいで・・・すまん、総二郎」
「今更だ。もう気にしちゃいねぇよ・・・」

「あの人か・・・?お前の」
「本来は祥兄の相手だ。代わるか?」

「・・・総二郎」
「冗談だ。悪かった」


紫が家元夫人を狙うなら、本来は祥一郎が相手だった・・・それも、今更考えてもどうにもならない。
兄貴には「仕方ねぇよ」と無愛想に返事だけしてその場を終わらせた。


読経や一連の法要が終わり、業者関係や京都の企業人、一般の後援会会員は屋敷を後にした。
その後も古くからの知り合いや地方後援会の人間達が順に親父との挨拶を済ませて、その度に昔話をされるから長いってもんじゃない。
延々と語られる話を黙って聞いて、会食を共にする者だけになったのは夕方、陽が暮れる頃だった。

会食時にもやはり話は先代に関する事が多く、ここで何かの情報が得られないかと耳を澄ませたがそれらしい話は何もなかった。だからといって俺から茶碗の話をするのも変だし、隣には紫がいる。
滅多な事は言えないから黙ったまま酒を飲んでいた。


「しかし、これで喪が明ける事だし、若宗匠もお話しが進められますねぇ!」

以前余計な事を話しかけてきた爺さんが今回もこの話を持ち出した。それにムカついてギロッと睨んだが、酒を飲んでる此奴は全然気が付かない。
俺と紫の前に来て酒を注ぎ、ニヤニヤ笑いながら言葉を続けた。

「もう3年?いかんいかん!そんなに女性を待たせるなんてダメでしょう~、若宗匠!まだお若いが確実に歳は取るんですよ?ねぇ、お嬢さん!」

「・・・少し酒を飲み過ぎではありませんか?今日は先代の一周忌ですのでそのような話は・・・」

「いやいや!そう言ってるから延びるんですって!先代もお許しくださるから、もう今すぐにでも日取りをお決めになったら如何かな?わははは!」

「何方か存じませんが、宗家の行事についてまでお口出しは無用です。お鎮まりいただけませんか?」


このクソジジィ!
これが親族勢揃いの場じゃなかったら張り倒して門の外に放り投げてやるのに!!
俺の形相に気が付いたのか、京都の連中がこの爺さんの脇を抱えて移動させ、一時場は騒然となった。これを聞いても止める訳でもなく静観していたのは親父で、お袋も苦々しい顔をしていたが黙ったままだった。

ただ、その時に先代の秘書だった大崎さんがボソリと話した。


「確かに一周忌で喪が明けるとは言いますが、西門家の場合は初盆を済ませてから・・・そうではなかったんですかねぇ?」

「・・・うむ。確かにそのように聞いているな。先々代の時にも初盆を終わらせてから慶事を再開したとな」

「先代がお亡くなりになったのが7月中頃でしたので、初盆は今年でございます。それが終われば総二郎様のご結婚も可能、そういう事ですよね?」

「そうなるな」
「・・・大崎さん、その話はもういいですから」


何奴も此奴もその話ばかり・・・今度は大崎さんにも鋭い目を向けてみたが、この人は家元に視線を向けていて俺には気付かない。イライラして咳払いをしたが無駄だった。
それどころか先代が最後まで床の中で言ってた言葉まで出したから、余計に周りが騒ぎ出した。

「先代が梅雨時にお倒れになった時は譫言のように『総二郎は結婚したか?』とそればかり。私共も初めは『まだでございますよ』とお答えしていたのですが、意識が薄れてきた頃には『ちゃんとご結婚なさいましたよ』と言ってましたよ。そうすると嬉しそうに笑ってねぇ・・・」

「そんなに総二郎の事をお考えだったのか?」

「えぇ!それはもう・・・1度冬にお二人で来られたでしょう?あの後も毎日のように気に掛けておいででした。曾孫さんのお顔が見たいのですか?なんて聞いてみたら頷いておられたので心残りでしょうなぁ」

「・・・そうか。それは申し訳ないことをしたのだな」


何が申し訳ないことだ!
悪いが結婚していたとしても先代には曾孫の顔なんて見せられなかったけどな。

涼しい顔で隣に座っている紫にも当然聞こえているだろうけど、今日も無表情で言葉なんて出さなかった。これを京都の連中は奥ゆかしい女性だと、俺の我儘に付き合って不憫だと噂しているらしい。
茶の出来映えについては何も言われないが、この話になると悪者はいつも俺・・・自分の事を周りが喧しく話してるのを無視して、黙って杯を口に運んだ。



**



そして1ヶ月後、再び俺達は京都に足を運んだ。

先代の初盆のため、またも盛大に法要が行われた。一周忌と同時に済ませればいいのに、と思ったが慣例に従ってそんな略式な事はない。
そして関東では7月に初盆を行う地域もあるが、京都出身の西門家は当然8月。
僅かな期間に地方の連中もご苦労だと思うが、また同じ面々が一乗寺の屋敷で顔を合わせる羽目になった。

8月13日は迎え火。
午前中に精霊棚の飾り付けや供え物をし、祖先の霊を迎える準備をする。この準備は使用人ではなく宗家で行うこととされ、紫は丁度良い機会だからとお袋についてこの作業を教わっていた。

仏壇から位牌を出して精霊棚の中央に置き、仏壇の扉は閉めておく。日中は墓参りをし、掃除を行う。先祖の墓に使用人が触れることは許されないという古臭いしきたりにより、これも総て俺達の手で行われた。
夕方になると松の割り木や麻幹おがらで迎え火を焚き、盆提灯に火を灯す。

15日に僧侶を招いた法要と祖先の霊の供養が行われ、法要のあとにはいつものように会食。
この期間は祖先の霊が帰って来ているとされ、火を絶やさずに供え物や水も毎日交換するがこれも宗家の人間の手によって行われた。

この法要で殆どの客は帰っていくが、16日には送り火がある。
先祖の霊を見送りをするのは夕方とされ、その時使用した提灯を一緒に燃やして法要は終わる。



「皆、疲れたであろう。本日はゆっくり休んでくれ」

一乗寺の大広間で親父のひと言があり、その最後には労いの言葉があった。
もう送り火も済ませればここに居るのは身内だけ・・・顔を出した祥一郎、孝三郎と共に酒を飲み、お袋と紫も和やかに話したりして夜を過ごした。


「ここで話しておきたいことがある」

急に真面目な声を出した親父・・・そっちに全員が顔を向けた。
瞬間、イヤな予感がした。まさか、今ここで決めるのか・・・?


俺の不安は的中した。

「総二郎の婚儀は今年の11月吉日、炉開きをした後に行う事とする。
炉開きは慣例により亥の月の亥の日に行うが、今年はそれが11月10日になる。よってその後の日柄の良い日に執り行うので皆、そのつもりでな」

「お家元!私にはご相談もなしに・・・!」
「総二郎、いい加減にしないか!婚約から3年経つのだ、これ以上は宝生家にも申し訳ない。それにお前の茶席の評判も以前より格段に良いのだ。もう心身を理由には出来ぬだろう。これは家元である私の命令だ、判ったな!」


「・・・・・・!」


とうとう時期を決めやがった!
この言葉を聞いた後、俺は何も考えられなくなった。

今度はどう逃げる・・・?そう自分に問いかけるが答えなど何処にも無い。


あと4ヶ月・・・紫の笑い声が後ろから聞こえた気がした。




15503180580.jpeg

<茶道ひと口メモ>
その年の炉開きを「亥の月の亥の日に」というのが茶道の世界にはあるそうです。

まずは11月が「亥の月」について。
亥の月は陰暦10月の異名で亥月(がいげつ)とも言うそうです。
古代中国では冬至を含む月に、北斗七星の取っ手の先が真下を指すため、この月を十二支の最初である「子の月(ねのつき)」としたそうです。それが陰暦の11月、新暦の12月になります。
だから陰暦10月、つまり新暦11月が亥の月というわけです。

その月の1番初めの亥の日に炉開きをするのは「陰陽五行説」からきているとか。
亥の日は五行では「水」の日に当たるらしく、火を使う炉開きを水の日に行うことで「火伏せ」、つまり火事になりませんようにとの思いが込められているそうです。

また、昔は亥の月亥の日に炬燵を出したり、囲炉裏に火を入れたりして「この冬が無事でありますように」と願ったそうです。
関連記事
Posted by